「非中央集権性は重要です」と主張する際の、少数派としての正しい心構え

ブロックチェーンの必要性の議論 その他

友人に「ブロックチェーンって何がいいの?」「非中央集権性はなぜ必要なのか」「従来のアプリケーションより、なぜDAppに注目するのか」と問われた時、理路整然と返答し、「管理主体が存在した方がよい」と信じ切っている人の価値観を揺さぶるに足るメッセージを伝えられる自信のある人はいるでしょうか?

 

これは私はもちろんですし、どれだけブロックチェーン技術に精通した人でも難しい問題だと思います。なぜなら、まだ具体的な言語化に成功した人が希少で、誰もがアクセス可能な場所にその論述が掲載されていないからだと思います。

(様々な意見をネット上で見ることはできますが、まだ徹底的に説得されるものは希少で、各々が自ら納得して終わっている場合がほとんどのはずです)

 

しかし、強く信じているものの不可欠性を上手く言語化できず、有力な反論に明確に返答できない状況は気持ちの良い状態ではありませんし、誰でも「何とかこの状況から抜け出し、一つの答えを見つけたい」と願うはずです。

 

そこで、「ブロックチェーンについてどのように考え、議論していくべきだろうか?」といった考え方の道のりやフォーマットを固めてみたいと思います。

 

「ブロックチェーン」「非中央集権」を信じる人が取るべき、基本的な考え方

まだまだ「ブロックチェーン」「トラストレス(信任不要な制度)」「非中央集権」が重要であると信じる人は少数派の中の少数派です。

以下は、そんな少数派が正しく他人と議論していくために持つべき基本的な心構えです。

 

原理主義的考えを避ける

ブロックチェーン原理主義

もし黎明期、つまり社会の大勢が「ビットコイン、非中央集権とは?」という状況であったなら、関心を持ってもらうことを意図して、

 

  • 政府はハイパーインフレを起こし、個人の財産を侵害する
  • 権力を持った機関は腐敗する
  • 個人情報を無断で金銭に変えている

 

など、多少は誇張した喧伝の必要性があったかもしれませんし、実際にそれが奏功して今の充実した環境ができたことは否定できません。

 

ただ、技術開発の環境や人材の流入、実際の非中央集権的サービスのユーザーが生まれてきた現在は、積極的にマスアダプションを狙っていく時期です。その時期では特に刺激的な言説は必要なく、むしろ逆効果となる可能性があります。

 

もはや、「銀行や大企業、政府は潰れる」など、特定の人々が苦々しく思ったり、嫌悪感さえ抱くような意見の正しさを、具体的な事実やよく練られた論証を目の前に並べ立てて見せ、その人々を苛立たせたりして喜びを得る、という時期はとうに過ぎ去ってしまいました

 

「ブロックチェーンや非中央集権性など不要である」と信じている人との共通の価値観をまず探り当て、そこから議論をスタートさせる友好的な議論が、結局は一般社会への浸透への近道です。

 

立証責任を全て背負う

ブロックチェーンが必要な理由の立証責任

一般に、既に社会に受容されている見解には、その正当性の証明のためのクリアな根拠が必要とされません。そのような根拠がなくとも、大勢の人間が認めていることだからです。

 

例えば「他人には親切にすべきだ」という社会に受け入れられた意見には、「なぜ?」の問いに答えるだけの強い根拠が求められませんし、必要ありません。

「他人に不親切でもよい」という反対意見に対しては、「他人には親切にすべきだ、という規範と衝突しますよ」と主張するだけで立派な反論となります。

 

逆に、「非中央集権性の重要性」など社会通念と離れた主張をする場合、一般に広く受け入れられている見解(管理主体は不可欠である等)に対して、

 

  • 前提の精査
  • 反対の根拠
  • 具体例の提示

 

などを細かく示し、従来型の見解を持った社会に衝撃を与え、彼らがその見解に安心していられなくなるような綿密な議論を提示する努力が求められます。

 

つまり、「管理主体は不可欠である」と考える人には「なぜ管理主体が必要なのか」を説明する義務はない一方、「非中央集権性は重要である」と考える人には「なぜそれが必要で、どんなことが考えられるのか」等を細かく伝える責任が生じるということです。

 

ブロックチェーンやその付随する性質を信じる人がこの立証責任を負い、応える努力をしなければ社会への浸透は大きく遅れていくはずです。立証責任にえる努力を続け、他の人々が現在の一般常識を疑わざるを得なくなるような、知的緊張を生み出せるよう考え続けましょう

 

主張の不完全性を受け入れる

ブロックチェーンは不要であるという反論

だれでも自分の主張を構築するときは、「真理を発見し、反論不可能な理論を打ち立てた」と考えたいものですが、それは不可能です。

 

特にブロックチェーンやDAppsは非常に新しい技術やサービスですし、毎日のように懸念点が露呈し、それについて批判/議論されています。

 

従って、もしあなたがブロックチェーンや非中央集権性を信じているならば、それが社会を変革する点や強みをよく知っている一方、その見解について誰よりも長時間真剣に考えているため、同程度に、その逆の弱点についてもかなり妥当な見識を持っているはずです

 

具体的に言えば、

 

  • DAppも集権的運営になっている
  • オラクル問題
  • チェーン上のトークン価値総額>ネイティブトークン時価総額
  • スマートコントラクトプラットフォームは、複雑が故にセキュリティに不安がある

 

など、自分の見解が拠り所にしている根拠の脆弱性や、指摘されると自分の立場が揺らいでしまうほど有力な批判、議論が足りず自分の中でも満足していない点が数えきれないほど存在するはずです。

 

しかしこの不完全性こそ、ブロックチェーンや非中央集権性が社会や自分にとって新たな技術/概念である証拠でもあり、その不満こそが魅力の源泉であることも理解すべきだと思います。

 

そんな非中央集権性やブロックチェーンの可能性を信じるならば、自分の主張の不完全な部分を認めつつも恐れずに学んで議論していく勇気、誠実な態度が求められます

 

見えないものの正当性を主張するために

非中央集権性、その実現のためのブロックチェーンは、メリットは目に見えず、デメリットだけが強烈に目につくという不利な性質を持っています。

 

従って、その重要性を主張するためにはある種の覚悟というものが必要で、他の見解と同じ立場で議論しても受け入れられることはありません。

 

  1. 原理主義的考えを避け、
  2. 立証責任を全て負い、
  3. 主張の不完全性を受け入れる

 

といった、遠回りですが誠実な姿勢で社会に一貫したメッセージを送り続けることが、今の業界に最も求められていることだと思います。

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